考古文化研究会〜掲示板〜
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西さん ありがとうございます
投稿者:
THE古墳NET 首長
投稿日:2002年 5月27日(月)21時00分24秒
返信・引用
>1956年の盗掘時に出た、内行花文鏡1・画文帯神獣鏡1・三角縁神獣鏡11の鏡や鉄器はすべて東京国立博物館だと思います。
東京なんですか。これは、参りました。一番観たいものが。これは行く便にしないといけません。
>そして1967・68年の鎌木先生と近藤先生の合同調査で出土した鉄器や土器はそれぞれ、岡山理科大学、岡大にあります。
こちらは、問い合わせてみます。
>前期古墳の時期を表すには、暦年代表記はまだ時期尚早だと思います。
よく一般の著書には、古墳の年代が表示されていますが、例えば、備前車塚古墳 4世紀のころ
とか書かれていますが、よくない表現になるのでしょうか?それは、よしとして、
備前車塚古墳、宍甘山王山古墳の順がわかりました。
備前車塚古墳の出土品と時期
投稿者:
西 博孝
投稿日:2002年 5月27日(月)18時40分39秒
返信・引用
首長さん、こんにちは。
>備前車塚古墳についてですが、副葬品や出土されたものは、どちらに保存されているかご存知ですか?
今仕事場で、手元に資料がなく、記憶だけで書いていますので、ひょっとすると間違っているかもしれません。1956年の盗掘時に出た、内行花文鏡1・画文帯神獣鏡1・三角縁神獣鏡11の鏡や鉄器はすべて東京国立博物館だと思います。
そして1967・68年の鎌木先生と近藤先生の合同調査で出土した鉄器や土器はそれぞれ、岡山理科大学、岡大にあります。
>この古墳は県内でも最古とされていますが、4世紀のはじめごろと考えてよろしいでしょうか?
前期古墳の時期を表すには、暦年代表記はまだ時期尚早だと思います。何よりもまず、その地の土器の細分編年がある程度確立してからでないと、混乱するばかりだと考えています。
それで車塚のじきですが、幸い鎌木先生が出土土器を公表していまして、いわゆる吉備型甕(通称ボウフラ)ではなく、口縁部がくの字型の破片とその底部部分の破片が明らかになっています。
時期は吉備の編年で、10−dという段階のものだと思います。
この段階では、吉備ではもはや特殊器台・壷は使われていないと私は考えています。ですから特殊器台をもつ古墳よりは確実に新しい時期の古墳だと思っています。
>また宍甘山王山古墳は、備前車塚古墳に続いての築造と考えていますが、ここも出土品などを確認して画像に保存しておきたいのですが、ご存知でしたら一報くださいませ。
宍甘山王山古墳は未調査ですが、採集された円筒埴輪片が宇垣氏によって公表されています。特殊器台の名残を色濃く残した埴輪で、吉備で埴輪が使用された最初期のものだと思います。車塚より新しいと思いますが、土器型式でどれくらいの時間差があるかは不明です。
西さん こんにちは
投稿者:
THE古墳NET 首長
投稿日:2002年 5月27日(月)16時17分8秒
返信・引用
備前車塚古墳についてですが、副葬品や出土されたものは、どちらに保存されているかご存知ですか?この古墳は県内でも最古とされていますが、4世紀のはじめごろと考えてよろしいでしょうか?また宍甘山王山古墳は、備前車塚古墳に続いての築造と考えていますが、ここも出土品などを確認して画像に保存しておきたいのですが、ご存知でしたら一報くださいませ。
巻野内石塚古墳
投稿者:
西 博孝
投稿日:2002年 5月16日(木)13時56分23秒
返信・引用
首長さん、こんにちは。
貴重な情報を有り難うございます。毎日新聞では巻野内石塚古墳のことが載っていたようです。今回の調査は、墳形測量からわかったようですね。詳しいことは、発掘調査を待たなければならないと思います。
>このことで邪馬台国の畿内説が有力になってきたとありますが、これだけで確定されるのでしょうか?
いいえ、なんとも言えないのではないでしょうか。少なくとも次の点は、言えるのではないでしょうか。
箸墓古墳より、東の尾根筋にホケノ山古墳があります。このことからまず、ホケノ山古墳が造られ、尾根筋を降りたところに、次に箸墓が造られたという立地状況から、築造時期を想定する見解がありました。ところが今回の古墳は、ホケノ山古墳の北側でほぼ同じ高さのところにありますから、尾根筋論は成り立ちにくいと思います。
なによりも出土土器から、箸墓とホケノ山古墳でどちらが古いかはまだわかっていません。仮にホケノ山が古いとしても、なぜホケノ山には特殊器台・特殊壷がないのでしょうか、そして前方部が短いのでしょうか。
箸墓・西殿塚・馬口山・中山大塚・葛本弁天塚と纏向古墳群とは、まったく別系譜の古墳であると思っていますから、今後の研究で明らかになるでしょうが、纏向古墳群から箸墓などが生まれるという一種の「進化論」的発想は、分析の妨げになると思っています。
RE:二階塚古墳
投稿者:
大山
投稿日:2002年 5月16日(木)00時03分5秒
返信・引用
西様
詳細な解説ありがとうございました。
西石室からは阿蘇溶結凝灰岩の破片が出土したと、現地説明会資料にありますが、「礼拝石」と考えられる阿蘇ピンク石が出土していたとは初耳です。「礼拝石」といえば、同じく7世紀前半のものと思われる艸墓古墳の刳抜式の家形石棺(竜山石?)の前にあるのがそうでしょうか。この古墳も東石室と同じく石室の構築が先か、石棺の安置が先かという問題があり、こちらも興味がわくところです。
こんばんは
投稿者:
THE古墳NET 首長
投稿日:2002年 5月15日(水)21時38分29秒
返信・引用
本日の朝刊ですが、桜井市の纏向遺跡にありながら、これまでは六世紀の小円墳とみられていた巻野内石塚古墳が、近くのホケノ山古墳(3世紀中ごろ)とよく似た最初期型(纏向型)の前方後円墳で、ホケノ山と同時期とみられることが、14日までの市教委の調査で分かった。(詳細は、私のサイトのBBSに転載) このことで邪馬台国の畿内説が有力になってきたとありますが、これだけで確定されるのでしょうか?
話変わりますが、本日”趣味の古代吉備”さんの管理人さんとコンタクトをとりいろいろと盛り上りました。その中で出た話題で何故古墳に文字がないのか? という疑問があがりました。確か弥生時代前期ごろから中国との交流もあったと伝えられそのころには中国では漢字がありましたと思いますが文字だけは伝わってなかったのでしょうか?疑問です。
RE:二階塚古墳
投稿者:
西 博孝
投稿日:2002年 5月15日(水)09時28分47秒
返信・引用
大山様、初めまして。書き込みを有難うございます。
>上墳で「花崗岩類の石棺が多く見られるのは近江地域しか」ないとのことですが、天智朝、高安城、二階塚古墳、近江の石工の四点が結ばれると指摘されているのだとみました。いかがでしょう。
もし390m付近の石材遺構が高安城と関係があるとすれば、上墳はその内側にあり、壊されずに残っているわけですから、何らかの関係があったと思われます。またおっしゃるような近江との関係も念頭に置く必要があると考え、書いておきました。
ただ下墳とは規模も違い、詳細には検討していませんが、石積法も異なるようですので、もう少し調べてみないとわかりません。
>ただ、時の権力者が、阿蘇や播磨、二上山を産地とする石のブランド品をなぜ採用しなかったのかという疑問が残ります。
ご指摘のような問題が出てきますが、それを考える上でヒントとなるものがございます。それはご存じのように見瀬丸山古墳の東側にある植山古墳です。まだ出土土器の実測図を初め、正式な報告書が出ておりませんので、安易に断定はできませんが、植山古墳の東石室は6世紀終末頃、西石室は7世紀の初頭ないしは前半と考えられております。
東石室からは、通称阿蘇ピンク石(馬門石)の石棺が出ており、これまでの例ではこの時期まで阿蘇ピンク石石棺は使われていないという例外的な事例であるということ。それから西石室ではいわゆる「竜山石」の仕切り石と「礼拝石」と考えられる阿蘇ピンク石が出ているということです。
つまり東石室では、それまで途絶えていた阿蘇ピンク石の石棺を畿内的な技法で製作しているということと、西石室ではそれまで石棺の重要な石材であった「竜山石」や阿蘇ピンク石がまったく別のものに使用されているということです。この段階で畿内地域の埋葬において、大きな転換点があったことを示す事例だと私は思っております。
上記のような点も考慮に入れて、二階塚古墳の分析を今後も継続していきたいと思っております。
RE:二階塚古墳
投稿者:
大山
投稿日:2002年 5月14日(火)15時07分16秒
返信・引用
二階塚古墳の資料を興味深く拝見しました。上墳で「花崗岩類の石棺が多く見られるのは近江地域しか」ないとのことですが、天智朝、高安城、二階塚古墳、近江の石工の四点が結ばれると指摘されているのだとみました。いかがでしょう。ただ、時の権力者が、阿蘇や播磨、二上山を産地とする石のブランド品をなぜ採用しなかったのかという疑問が残ります。半島情勢と深く関わりがあるのでしょうか。今後の調査に期待します。
二階塚古墳
投稿者:
西 博孝
投稿日:2002年 5月12日(日)20時56分11秒
返信・引用
5月4日に以前から行こうと計画していた二階塚古墳に西森氏の案内で、物怪守屋氏とともに登ってきました。
その時の写真と簡単な報告が資料室にありますので、ご覧下さい。写真は物怪氏の提供です。
多分ネットでは、初めて紹介される古墳だと思いますので、ご意見やご質問など、この掲示板に書いて下さい。
西さん こんばんは
投稿者:
THE古墳NET 首長
投稿日:2002年 5月 6日(月)01時09分43秒
返信・引用
>前に書きましたように、以前行ったときの印象は古墳時代後期から終末が多かったように記憶してますが、
やはり山陽町から北方面へは、後期から終末期あたりが集中しているみたいです。これも何かありそうです。ところで、まだ書籍とかに手がつけられていませんが年代の一致も難関みたいです。
ちょっと気になっているのが神武天皇?いろいろな時代に登場してくるみたいです?
以上は、新着順51番目から60番目までの記事です。
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