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巨大な「狛犬と銅鏡」の紹介

 投稿者:まこと  投稿日:2003年12月22日(月)15時02分37秒
返信・引用
  巨大な「狛犬と銅鏡」のなぞを解く なぞとき工房
不思議な地形に隠された「巨大な狛犬?」と、
「世界一の銅鏡」でありながら、考古学者たちには
全く評価されない理由と謎を検証します

「巨大な狛犬と銅鏡の謎?」のキャプションでリンクか、
ご紹介いただけたら幸いです。 宜しくお願い致します。
http://nazokobo.hp.infoseek.co.jp/sumpbutai.html
http://www3.to/nazotoki  ◎リンク・紹介のお願い

http://nazokobo.hp.infoseek.co.jp/sumpbutai.html

 


Re:庄内式土器について

 投稿者:管理人 水井  投稿日:2003年 3月17日(月)23時44分10秒
返信・引用
  森田様
書き込みありがとうございます。この掲示板は旧掲示板ですので、新掲示板へコピーさせていただきます。ご了承のほどよろしくお願いします。
水井
 
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庄内式土器について

 投稿者:森田晃之  投稿日:2003年 3月17日(月)18時38分8秒
返信・引用
  近畿地方における庄内式土器の出土状況について質問致します。
庄内式土器は、その出現初期段階において、生駒山系の西側(主に八尾市近辺)及び大和盆地東南部(纏向遺跡周辺)にて主に生産された土器であり、近隣の弥生集落では殆ど生産されていない(運ばれてきてはいるものの)と聞いていますが、庄内式土器の後半(比較的新しい段階のもの)についての出土状況及び生産地についてはの情報を余り聞きません。教えて頂ければ幸いであります。宜しくお願い致します。
 
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新しいBBSへ移行します

 投稿者:水井  投稿日:2002年 6月 2日(日)10時50分32秒
返信・引用
  管理者の水井です。新BBSに移行します。
vtecさん、かわさん、書き込みありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
お二人のログを新BBSにコピーしますのでご了承下さい。
 

巨大古墳の変遷

 投稿者:かわ  投稿日:2002年 6月 1日(土)22時13分41秒
返信・引用
  こんばんは。
かわです。

巨大古墳の変遷のお話、興味深く読ませていただきました。
勉強不足で申し訳ないのですが、「分類の基準」について、簡単に教えていただけませんでしょうか。
次に、分類の仮定としては、
(1)この分類は、勢力の相違を反映したものである
(2)この分類は、形式の違いであって、勢力の違いを反映したものではない
の両方が考えられますね。
よく、分類=勢力の相違、と結びつける方が多く、そのほとんどが、「ほんとかなぁ」という疑問を持つのに対して、さすがに慎重な立論だなぁ、と感心して読ませていただきました。

あえて、文献の立場からの解釈をさしはさむことは、今は控えておきます。
今後の課題は上記1・2の「切り分け」や、他の地方との関係、また、Vtecさんもご指摘の、巨大では無い古墳との関係といったところでしょうかね。
楽しみにしています。

http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/

 
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初期の前方後円古墳

 投稿者:vtec  投稿日:2002年 6月 1日(土)21時40分21秒
返信・引用
  165m以上の古墳に絞れば箸墓古墳が突然現れるでしょうが、その前に巻向石塚古墳や勝山古墳などの小型の古い前方後円墳が巻向周辺に存在しているのではないでしょうか。
それらの古墳の長大化の方向に発展した延長上に箸墓古墳が現れるのではないんですか。

五代孝昭天皇は「御真津日子訶惠志泥命(みまつひこかえしね)」と言いますが、この天皇のころ巻向に支配権を得たと思われます。御陵の記事は西の葛城ですから、天皇陵じゃないと思いますけど。三世紀中ごろです。上の初期前方後円墳の時期に一致しませんか。
 
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Re:畿内古墳の変遷

 投稿者:西 博孝  投稿日:2002年 6月 1日(土)16時14分48秒
返信・引用
  vtecさん、書き込みを有り難うございます。

>畿内古墳の変遷についてよく解りました。該当の本が見つからず苦慮しておりましたので、大変助かりました。

そういっていただけると、嬉しいです。

>前方後円墳の吉備の影響については指摘されていますが、その吉備に九州東部(筑紫東北・豊国)の影響があるんじゃないでしょうか。吉備の独創ではなくてまたそのルーツが九州東部にあるのでは。

弥生時代の後期に上東式土器というかなり特徴的な土器が吉備で出現します。この土器は吉備南部の中央地域に形成され、他地域から影響をほとんど受けず、独自的な成長をします。その中で備前と備中の土器製作技法が融合した時点で、例の特殊器台が生まれます。

私も吉備の特殊器台がどこかの影響を受けたのではないかと10年以上西日本各地の土器を見て歩きましたが、見つけることはできませんでした。大分の別府湾周辺部に大型の特異な器台が後期の一時期出現しますが、これも吉備より早いかどうか今のところ疑問です。
それよりも弥生中期後半の備前地域には大きな器台があり、先記のように後期になるので、他地域からの直接的な影響は考えなくてよいと思っています。

文献の方は、まったくわかりませんので何とも言いようがなく、申し訳ありません。ところで前からの疑問で、誰も取り上げないので不思議に思うことがあります。

それは、周濠をもち、前方部から何百という石製腕飾類が出土した有名な島の山古墳のことです。
大王墓としても遜色ないもので、河合大塚まで系譜は続くと思いますが、それに該当するような記事が『記・紀』に見あたらないようです。

文献の研究者がその点を指摘したといのは、寡聞にして存じません。もしご存知でしたらご教示いただきたいと思います。
 
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ちょっと追加

 投稿者:vtec  投稿日:2002年 6月 1日(土)12時42分32秒
返信・引用
  ちょっと追加です。

私は考古学の知識が皆無ですので、先のレスは文献(記紀)を根拠にしたものです。
 
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畿内古墳の変遷

 投稿者:vtec  投稿日:2002年 6月 1日(土)12時33分46秒
返信・引用
  西 さん

畿内古墳の変遷についてよく解りました。該当の本が見つからず苦慮しておりましたので、大変助かりました。

浅学の身ですが思いついたことを少し。

なぜ突然箸墓古墳が出現するか、神武以来大物主(勿論師木の王)との縁戚を重ね、遂に崇神が古代大和王権を確立します。これは今まで近畿の地にはなかった画期的(筑紫や吉備では普及していたでしょうが)な変革的政権です。その反映かもしれません。

巨大古墳の始まりは簡単です。紀角宿禰らのいわゆる穂穂出見系が攝津・和泉・河内に勢力を展開するからです。穂穂出見系とはいわば近畿の天皇家の本家(神武は分家)になります。降臨からこの時点までは勿論筑紫・豊が本拠地です。余談ですが、天皇家の方は豊国のそばに日向国を持ちます。それまで筑紫に居た穂穂出見系がなぜ近畿にも進出しなければならなかったのは、いわゆる倭の五王による圧迫です。逆に六世紀頃は倭を筑後以南まで追い詰めますが。

前方後円墳の吉備の影響については指摘されていますが、その吉備に九州東部(筑紫東北・豊国)の影響があるんじゃないでしょうか。吉備の独創ではなくてまたそのルーツが九州東部にあるのでは。

箸墓はヒミコの墓という説は時間のズレもあり、魏志の記載の塚の様子とあまりにも異なります。まだその説が生きている事が驚きです。

佐紀古墳群は成務から神功期、雄略の直前までの息長氏(近江のではなく山城綴喜の方です)の影響下のものでしょう。時期は四世紀中から五世紀中までです。

字数オーバーになるといけませんので、また。
 
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備前車塚

 投稿者:西 博孝  投稿日:2002年 5月28日(火)16時29分47秒
返信・引用
  首長さん、こんにちは。レス有り難うございます。

>東京なんですか。これは、参りました。一番観たいものが。これは行く便にしないといけません。

東京国立博物館所蔵ということで、展示しいるかどうかはわかりません。もし展示していない場合は、所蔵物を見るための正式な手続きが必要だと思います。

>そして1967・68年の鎌木先生と近藤先生の合同調査で出土した鉄器や土器はそれぞれ、岡山理科大学、岡大にあります。
こちらは、問い合わせてみます。

こちらも見ることができるか、どうかも不明です。直接お訊ねになったほうがよいと思います。

>よく一般の著書には、古墳の年代が表示されていますが、例えば、備前車塚古墳 4世紀のころ
とか書かれていますが、よくない表現になるのでしょうか?

古墳時代の始まりが4世紀であるというのは、戦後小林行雄先生が提唱した説です。ごくごく簡単に申しますと、それまでの古墳に伴う鏡の研究と被葬者が特定できるいくつかの天皇陵とその天皇の紀・記の記事からおおむね古墳の出現は、4世紀ごろだろうとしたことに始まります。

最近は、この4世紀という定点にたいして、鏡の細かい研究などからもう少し前になるのではないかということで3世紀中頃という説も活発になっています。従って、これらの説はあくまでも仮説で、あまり固定的に考えない方がよいと思います。吉備のように土器の細分編年が進んでいるところでは、古墳に確実に伴うと考えられる土器の時期で表現するのが今のところ一番正確だと思っています。
 
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