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古代吉備王国に関する書籍のご案内

 投稿者:THE古墳NET 眞鍋  投稿日:2009年 5月22日(金)20時18分41秒
返信・引用
  大変ご無沙汰しております。
以前岡山県内の古墳情報のサイトを運営しておりました眞鍋です。

この度はこの場をお借りしまして一般書店では入手しにくい
古代吉備に関する書籍のご案内をさせて頂きます。

岡山県内在中の私の知人が平成16年に出版した書籍です

タイトルは
「縄文の神々と古代吉備王国」

で岡山県内の神社の祭神から古代吉備王国を語った本です。
希少な書籍ですので興味ある方だけにお譲りしたいと考えて告知させていただきました。

今のところ1冊のみを楽天オークションに出品しております。
来週には、最後の約100冊が私のところに入ってきます。

謎の多い吉備王国の解明に!是非お役立て下さい。

http://auction.item.rakuten.co.jp/10138371/a/10000954

 


やはり継体は重要人物

 投稿者:平 英司  投稿日:2009年 3月30日(月)10時07分12秒
返信・引用
  ながらく古事記を研究していますが、古事記の説話記事は
継体記で終了しています。後の推古記までは系譜記事だけ
です。したがって古事記は継体記で実質的に終わっている
のです。
この六世紀前半、近畿と筑後に、いったい何があったので
しょうか。
この疑問に考古学はピントを与えてくれるのでしょうか。
ともあれ4月12日は本当に楽しみです。
 
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こんにちは

 投稿者:西 博孝  投稿日:2009年 3月25日(水)09時44分54秒
返信・引用
  > No.162[元記事へ]

平 英司様

お久しぶりです。昨年ご一緒に参りました物集女車塚古墳を中心とした向日地域の古墳めぐりです。

お陰様で、何とか実現できる運びとなりました。継体を考える上で、物集女車塚古墳は今城塚古墳と並ぶ格好の考古学資料だと考えています。そこからどれだけの情報を引き出せるかは、引き出す側の問題だと思います。

行動派の平様ならではのことで、岩戸山古墳や八女地域の古墳をご覧になったとのこと、何よりです。

私自身も、継体のことを追っかけている関係上、再度日本書紀の原文を少しずつ読み直しているところです。そこで気付いたことですが、森博達先生の分析によって、継体紀はα群であり、中国人述作者が書いたもので、ごく一部を除いて、後の世の日本人による粉飾はないとされている問題です。

ところがよく見ますと、仏典を下敷きにしたものや唐代成立の文献を下敷きにしたものが結構あることがわかりました。「磐井の乱」の重要な部分もそれに含まれます。

ですから、「磐井の乱」はこれまでいわれているようなものではないとの疑問を抱くようになりました。

お目にかかれるのを楽しみにいたしております。
 

一年ぶりの物集女古墳!

 投稿者:平 英司  投稿日:2009年 3月24日(火)10時41分56秒
返信・引用
  西 博孝様、4月12日、どうぞよろしくお願いします。昨年わたしと二人で下見に訪れたこと、思い出しております。
継体は古代史上重要な人物と考えております。わたしは西様からご教示いただき、継体の事跡を調べるべく筑後の八女市を訪れ、岩戸山古墳や八女古墳群を見学してきました。申せますことは「磐井の乱」の後も八女地方の文化は絶えていなかったことです。
当日の西様の解説を楽しみにしております。
 
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日本語の源流/地名考古学

 投稿者:今井欣一  投稿日:2008年 7月16日(水)11時55分29秒
返信・引用
   はじめまして。私は、地形図にのる地名を収集・分析して、縄文・弥生時代の言語、歴史の復元を手がけております。表題のサイトに『縄文・弥生の地名』『地名考古学』『倭語の法則』『温故知新・川名の起源』『地名の由来/大阪環状線・山手線の駅名、山名の起源』『律令時代の日本』の全文を公開しております。日本語のルーツ、地名解釈法、古代史に興味を持たれる方は、ぜひご来訪ください。

http://www.imaken.biz/

 
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日本古代史に関する新たな提言

 投稿者:広瀬満  投稿日:2008年 2月24日(日)21時50分53秒
返信・引用
  私は関西で古代史を研究している広瀬満というものです。
 長年古事記とりわけ大国主神を研究していましたが、近年大国主神は天武天皇の神格化であるという結論に達しました。

 例えば身の危険を感じたオオナムヂが木の国に逃げ、そこも危なくなったので根の堅州国に脱出、そこで試練に耐えて力をつけ、根の堅州国を出て八十神の兄弟たちを倒し、葦原中国の王となり国づくりを始めるという神話は身の危険を感じて吉野に出家した大海人皇子が、その後東国に脱出し、近江朝廷を倒した壬申の乱と同形の話となっています。 またオオナムヂの周りの人間関係も大海人皇子の周りの人間関係とじつによく似ています。

 これらのことから大海人皇子が天皇に即位したいきさつが大国主の神話として語られていたのではないかと考えたのです。
 また大国主神が天武天皇の神格化だとすると出雲大社には天武天皇が大国主神として祀られている事になります。

 そう考えますと古事記に大国主神の話がなぜ並々ならぬ分量でいきいきと書かれているのか、奈良時代なぜ出雲に巨大な神殿が建設(神魂神社に716年創建の記録がある)されたのか、「出雲国造神賀詞 」に代表されるようになぜ天皇家は出雲大社に大きな崇敬を寄せていたのかが理解できると思います。

 これは徳川将軍家が始祖の家康を東照大権現として日光東照宮に祀り崇拝していたのと同じ理屈です。

 また話が長くなりますのでここでは省略しますがスサノオは蘇我馬子の神格化と考えられます。
スサノオの力強く傍若無人な性格は「日本書紀」等からうかがい知れる蘇我馬子そのものです。
スサノオが牛頭天皇、新羅大明神、熊野権現、蔵王権現といった仏教の守り神と同神、または習合されているのもこのためだと考えています。

 この2点(大国主神=天武天皇、スサノオ=蘇我馬子)を基点に記紀の研究を進めたところ、神話の解釈が容易になっただけでなく日本古代史は実に意外な姿を見せてくれました。

 たとえば大国主神=天武天皇、スサノオ=蘇我馬子の構図がわかれば例の明日香村の高松塚古墳、キトラ古墳が蘇我蝦夷、蘇我入鹿親子の墓であることが容易にわかりますし、さらに重大なことはどうやら皇統は万世一系ではなく推古天皇と舒明天皇の間に断絶があり、天皇家の祖が実は蘇我馬子であるということも神話のその構図の中から浮かび上がってきます。
 また聖徳太子がなぜ天皇に即位しなかったか、なぜ中大兄が27年間も皇太子のままで即位しなかったかという古代史の大きな謎も神話が理解できればその謎も解けてきます。

 また本論は古事記論でもあります。古事記は天武天皇が芸能者を使っての国民教化のために作ったものでその内容は天皇の体験、周りの人間関係、見聞等を基に創作したものでそこには日本書紀には書かれなかった歴史の真実が塗りこめられています。また「古事記」は日本民族の誕生と深い関係があるというのが私の古事記観です。

 これらのことは論文として纏め、HPに公開しております。

 実はこの論文は何らかの形で発表することを一度は考えたのですが実際問題として田舎に住み、他に仕事を持つ者が出版や学会に発表することは困難で、というより不可能で、さりとてこのまま葬り去りがたくそこでHP上に公開し、このようにご案内した次第です。

 本論はかなり衝撃的な結論を導き出していますのでそれを支持する、支持しないは読む方にお任せするとしか言いようがありませんがわたしとしてはかなり様々な角度から検証を行ったつもりです。

 およそ拙い論文かもしれませんが、自分でこのようなことを言うのもなんですが従来にない数多くの新発見、問題提起があり、古代史、古代文学、天皇制、民族、宗教(特に神道)を考える上で極めて重要な内容であると自負しています。ぜひ一読していただければ幸いです。

 私のHPのアドレスは以下の通りです。
 http://www.kojikiden.com

HPの「大国主伝」をクリックしていただきますと論文が出てまいります。

もし疑問、質問等ございましたらメールをください。私の知識の範囲内とはなりますが必ず返答します。

 私のメールアドレスは以下の通りです。
 kojiki66@yahoo.co.jp

広瀬満 (ちなみにペンネームです。)

 敬具
 

『日本語の源流/地名考古学』

 投稿者:今井欣一  投稿日:2007年 9月27日(木)11時09分43秒
返信・引用
   上記のサイトを管理している今井と申します。「峠、岬、島」など、様々な地名群を集めて分析しますと、想像以上にはっきりした命名年代の差が現われます。地名を付けた時代は、間違いなく縄文〜弥生時代と推理できます。この資料をもとに、日本語の源流にある『倭語』の一部を復元するのが本HPのテーマです。ぜひご来訪ください。

http://imaken.biz/

 

新井先生の新刊

 投稿者:川村 明  投稿日:2007年 8月11日(土)10時06分24秒
返信・引用 編集済
   どうもご無沙汰しています。最近近畿の方に行かなくなっているのでちょっと寂しい思いをしています。
 ところでお話の流れとは関係ないのですが、新井宏先生の著書『理系の視点からみた「考古学」の論争点』が出ているのを知りました:

http://item.rakuten.co.jp/book/4489164/

早速入手して読んでみたいと思います。
 

考古文化52号を読んで

 投稿者:原田一正  投稿日:2007年 6月17日(日)17時24分34秒
返信・引用
  吉野氏の「今城塚古墳の現地説明会に参加して」を読んで、現説の日のことがよみがえってきました。3月4日に現地で感じたことは「石棺は伏見地震までに、徹底的に破壊されたとしても、石室を構成していた巨大な?石材はかなり残っていた筈では?」「その石材はどこへ行ってしまったのか?」という思いです。石室基盤工が、地震による地滑りに伴い、一箇所にまとまって落ちている事実からも上部構造である石室石材が同じような場所に転がっているのが当然だと思いました。  
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

文全協三重大会のご案内

 投稿者:文全協三重大会実行委員会  投稿日:2007年 6月 6日(水)21時52分52秒
返信・引用
  2007年6月15日より17日まで、三重県松阪市本町2176「松阪市産業振興センター」において、
文全協三重大会を開催いたします。
15日は、全国委員会、総会
16日は、見学会、懇親会
17日は、「文化財を活かした町づくり」のテーマで大会シンポジュームを行います。
17日午前9時開場、9時30分開会〜午後4時30分閉会予定
  報告 「西都原古墳群を活かした町づくり」
     「山梨県梅之木遺跡の調査と保存」
     「重伝建関宿を包み込む鈴鹿関跡の保存へ」
     「斎宮跡国史跡指定30年の今と課題」
     「三重の戦争遺跡調査の現段階」
 記念講演「文化的景観と町づくり」 西川幸治 元滋賀県立大学長
 関連報告「伊賀国庁跡・史跡伊勢国庁跡の保存調査」
     「重伝建関宿と鈴鹿関跡」
     「史跡斎宮跡の方格地割と創設期斎宮跡」
     「歴史景観と近世松坂商人屋敷保存のとりくみ」
     「桑名城下町遺跡調査の10年のルール」
     「戦争遺跡の調査保存の意味」
 以上の内容で行います。   入場料は、無料です。
 

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