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うれしいです、ありがとうございます。

 投稿者:エピクロス  投稿日:2010年 2月10日(水)13時20分51秒
  ゼノンさん:

私の質問にお答えくださってありがとうございます。
本当にうれしく思います。ソフィアザールさんが想像
下さっておられるように、今仕事で長く書けません。
ただ、本当にうれしく思っていることだけはお伝えしなければ
と書き込んでいます。

ゼノンと言えば、エピクロスと同じ時代の哲学者、言わばライバル
ですから(あのウサギとカメのパラドクス)、悪いはずはありません。

今後ともどうぞよろしく。ソフィアザールさん、いつもいつもありがとうございます。
てんとう虫さん、いろいろあるなか書き込んでいただき、ありがとうございます。

13日には、仕事を片付けて何があっても駆けつけます。お会いできること楽しみに
しております。

エピクロス
 

続 つまらないの意味

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月10日(水)11時14分3秒
  ゼノンさん

おはようございます

先だって現代音楽はつまらないと正面から単刀直入に仰ってられましたので
聴いたからこそ、その経験を踏まえての言葉であると解釈していました
その「つまらない」を話し合えたならばと思っていましたので
ゼノンさんの再度の書き込みをうれしく思います

エピクロスさんは今時分
締め切りに追われて忙しくしていると想像しましたので僭越ですが
エピクロスさんへの問いかけなのですが、差し置いて書かせていただきます

実は現代音楽の分野で唯一聴かないのは私にとっては打楽器です(笑)
面白いですね、人様々とはよく言ったものです

実は
私のオーディオ再生では、若い頃より(ジャズは高校一年生の時親友の家で聴いた
ソニーロリンズのアルフィーで目覚めました)
それ以来ジャズが吹奏楽から入り込んだ現代音楽としての
クラシック音楽を知る事で興味の対象になり今日まで続いています

改めてご紹介させていただくと
中学生の頃ブラスバンドで始めたトロンボーンです、いまだに吹き続けています
大学時代からはビッグバンドジャズです、今でもペンギンソサエティージャズ
オーケストラを細々と主宰しています

音楽への共振回路はクラシックとジャズですから
歌謡曲とロック、ポップスは、からきし駄目ですが
歌物ですとシャンソンは聴きます

やはり人格形成期に聴いていた音楽はいまだに好き嫌いに関係なく聴きたくなります

モーツアルト好きが講じてケッフェルナンバーのコレクションに嵌り
レコード集めに精を出した時期もありました
(お陰で気が付くと10000枚を超えてしまいました)
20年ぐらい前に漸くアンプ製作が一段落してから(今でも拘って続けています)
現代音楽が生演奏で何故興味深く聴けるのに再生音楽では聴かないのかと気づき
聴きだすようになりました

吹奏楽では演奏すること自体も高い技術を要求されて難しいです
現代の作曲家は
これまでの歴史のあるクラシック音楽を聴き
その上に自己の想いを乗せなくてはいけないので、如何しても奇抜になったり
考えすぎたりと、空回りしがちにもなります

作曲の動機にしても思索が重くなり音楽もこの重い気持ちが
反映され時代の空気にも敏感に反映される事で心地良い和音とは遊離しがちです
難解な技法も取り入れられますので尚更です
(聴き手は好き好んで難しいテクニックを音楽に求めていないのですから)
これなども作曲家と演奏者、聴き手の温度感に差が生じる由来です

簡単直入に言えば作曲家は聴衆の支持を期待しないのではと
考えてしまいます、

それも含めて時代の音楽と捕らえて私には興味深いジャンルです
現代音樂は商業的な成功を求める娯楽作品を感じさせる曲
よりも小説に例えるとすれば純文学、私小説に当たる作品が多く
作曲者の内的世界掘り下げる表現様式が多く
「つまらない」に結びつくと自分なりに解釈しています
人は音楽に何を求めるか、期待するかの答えを一生続けたいと願っていますが
打楽器だけの演奏は一番苦手な分野ですが「つまらない」の考察の為に
ご紹介の和太鼓とクセナキスを聴いてみます


人生に於ける音楽の役割と意味を考える
現代のクラシック音楽を
聴き続けていきながら自問していきたいと思います

ゼノンさん
ご丁寧で飾らないご意見を頂ありがとうございます
今後とも宜しくご教授の程お願いいたします

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh

 

(無題)

 投稿者:ゼノン  投稿日:2010年 2月 9日(火)14時45分9秒
  エピクロスさん。
 ちょっと留守をしましたので遅くなりました。
エピクロスさんの文章を読み、エピクロスさんが、人生や、人間と音楽との関わりなどを、大変真摯に考えていらっしゃることがわかりました。それで、思いはあるけど、長くなるため、つい言葉を端折り、分かりにくくなったのですね。

 私は、エピクロスさんが、ご自分でおっしゃるとおり、実は、素人哲学者ぶって、自分でもよくわからない言葉を振り回し、煙にまこうとしていると、受け取ってしまった面があります。そういう先入観があったので、どうもキツイ突込みになってしまいました。先入観でモノを考えるのはよくないですね。反省します。

 こうするべきだったと思います。「これこれの言葉の意味が分からないところがありますが、そこを補って説明していただけないでしょうか?」もう、遅いですが、改めてこういう質問に取り替えたい気持ちです。真面目に、本気で考えている方がいるわけですから、今後気をつけたいと思います。すみませんでした。

>そこで、ゼノンさんがどのような音楽を、どのようにお聞きになっておられるか、
 これですが、エピクロスさんのような真面目な方に、こう訊かれますと、ちょっと恐れ多い気がします(笑)。書くのに気がひけます。でも、書いてみます。

 バッハ、ヴィヴァルディ(トレッリ、コレッリなどイタリアバロックを含む)は大好きです。それから、モーツァルト、ショパンその他いろいろです。

 若い頃はベートーヴェン1本槍でしたが、40歳くらいから変わりました。今は、嫌いではありませんが、ベートーヴェンの音楽を聴くと、頭モジャモジャのベートーヴェンが、頭をかきむしりながら、悟ろうとして、悟りきれず苦悩している様子が目の前に浮かぶような気がして、どうもイマイチ安らげません。私の勝手な想像ですが。ただし、ナマ演奏は別です。自宅で聴くときです。

 それから、これは、叱られそうですが、声楽はあまり聴きません。嫌いではありませんが、器楽のほうがどうしても好きなので、そちらに偏っています。

 それから、ジャズが好きです。ジャズは好きですがクラシックより難しいですね。難しいというのは、クラシックなら、人様が薦めるCDなど買っても、それほど、演奏が気に入らない、というのは多くないのですが、ジャズは、いくら人様が名盤だとか良いとか言っても、いざ、自分が聴くと好みに合うのが少なく、私の場合、好みに合う打率がせいぜい2割くらいでしょうか。

>どのように聴いているか、
 ということですが、私はいい加減人間ですので、お酒を飲みながらとか、本を読みながら聴いたりすることが多いです。オーディオの良いところは、ここですね。古今の名曲の名演奏を誰にも文句を言われずこんな聴き方が出来る。演奏会でこんなことをやったら大変です(笑)。もちろん真面目に聴くときも多いです。

 それから、現代音楽を一言で「つまらない」と言ったのは大変乱暴な言い方で、これは撤回します。ちょっと言い訳しますと、エピクロスさんへの先入観のためです(他人のせいにするようですみません)。そのため、私は頑なになっていました。けれども、エピクロスさんの再度の書き込みを読んでから、hi-dee4さんの書き込みをまた読み、どうも私がいけないと思いました。

 実は、私も現代音楽を全然聴かないわけではないのです。ソフィアザールさんの書き込みで思い出しました。クセナキスの曲です。シルヴィオ・グァルダの芸術というパーカッションものです。これには、もう一人、N−Tダオという人の曲ものっています。この盤は好きです。

 それと、吉原すみれの、パーカッシブ コスモスもあります。これにも、クセナキス、湯浅譲二、武満徹と吉原自身の曲が載っています。これも、聴いていて退屈はしません。現代音楽がつまらないと言ったのは誰でしょうね?

 考えてみると、鬼太鼓座も現代音楽と言えるのかもしれません。(現代音楽の定義が難しいですが、ソフィアザールさん、いかがでしょうか?)。これも2枚ほど持っていて、ナマ演奏も聴きました。

てんとう虫さん、はじめまして。
 以上でお分かりのように、私は、けっこう早とちり人間です。今後ともよろしくお願いいたします。
 

旋律と音の力

 投稿者:てんとう虫  投稿日:2010年 2月 8日(月)11時22分31秒
編集済
  1月29日エピクロスさんの
「現代社会と現代音楽」より熱気あふれる投稿が続き
大変興味を覚えると共に音楽が人社会にとり貴重な文化遺産であることを再確認をしています。
ゼノンさん
はじめまして
エピクロスさんの要点を凝縮した言葉にはある種昇華された美しさを感じます。
「感情、美の現代化」
この一節をとりましても他のメディアで聞いたことがあるでしょうか
論点をより深みへ進もうとする姿勢を拝見するものです

そしてゼノンさんの投稿もすばらしいですね
突き詰めて提示されている思考に対し「解体を挑む」姿勢はやはり現代芸術に思考あればこそ
いかがでしょうか。
ある種の高みを感じるような陶酔を感じました
てんとう虫と申します
どうぞよろしく

エピクロスさんの(現代音楽と現代社会より)
このままだと、音楽がますます社会を反映しなくなってしまいます。感情、美の現代化
が必要になっているのでしょうね。これが出来れば、近代音楽も新しい装いのもとに
再活性化されることと思います。

この文章は近年現代音楽が広く聴かれないことへの懸念から発せられています
ストラビンスキーの「春の祭典」、バルトークの弦楽の為のディベルティメントを聞きますが、シェーンベルクや他の現代作曲家は時折NHK−FMで聞くくらいです。
メディアを通しては解らないでしょう。
生演奏で聞かないとエネルギーが伝わらないと思います。

社会体制の変化でシェスタコービッチは音楽にその変化を取り込んでいます
ラベルも交響詩「海」では絵画的な印象風に挑んでいます。
サティーなどもそれまでにない音楽の動機を求めています。
音の感性を研ぎ澄ませていった先に広がる音楽の世界を聴きたいと思います

旋律から生まれる音楽とフーガなど論理的な音楽どちらもバロックや古典にすでに表されてしまっているのが現代作曲家を苦しめているのでしょうか?
演奏されてわかりにくいと敬遠されてしまうのでしょう

バッハのチェロソナタやバイオリンパルティータは今でも難解で古典などとはいえないバッハの音楽論を未だに提起していると思います。

社会の発達の中にエジソンの作った蓄音機を忘れてはいけませんね
演奏会に行かなければ聞けない音楽がいつでも聴ける中で感性を研ぎ澄ませて作られた作品よりも
精神の深みに根ざしたテーマや宗教的な救いを求める美しい調べの音楽がまだ聞かれると思います
美の価値観が後どのくらいで起こるのかわかりませんがアナログからデジタルに変わり社会の発展と人の精神の発展がどう向き合って行くのかが楽しみです。
先人よりビバルディーやバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ブラームス、ショパン。後世にも沢山の音楽家が自己に挑み音楽に挑み続けて大きな遺産を残してくれています
どの作品からも豊かなもの慈愛や活力、時には悲しみと同情を、またパズルを解くような快感を与えてくれます。十人十色とは言いますがそれぞれの感じ方はあるのでしょうが大体このようなことがあるから深い感銘を覚え一枚のレコードを大切にすることになると思います。
ソフィアザールさん、ゼノンさん、hi-dee4さん、エピクロスさん
それぞれ深い音楽観を聞かせていただき皆さんに感謝です
今後も楽しみにしています

http://gallery.nikon-image.com/129416145/albums/451857/

 

モーツアルトの時代

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月 6日(土)16時54分55秒
編集済
  皆様の真摯で忌憚のない書き込みは拝読していてうれしい限りです

これを機会に会話が盛り上がる事を期待しています
自分はこのように思うと発言していく事が大切ですね
他者と自分の違いを認識する事が物事を掘り下げる事に役立ちます
私も発言に気をつけねばと反省しております



一つだけ確実な事は
モーツアルトが活躍していた時代
彼は現代音楽の作曲家でした


エピクロスさん

現代のモーツアルトは誰でしょうか
ご教授の程お願いいたします

あまり私の書き込みが重なっても申し訳がありませんので
私宛には出来ましたならばこちらへ書き込みをしていただけるとありがたいです

http://sophiasaal.bbs.fc2.com/

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh

 

逃げ口上ですが

 投稿者:hi-dee4  投稿日:2010年 2月 6日(土)14時07分55秒
  やはり芸術は人それぞれの想いで接すれば良いのだと思います
人それぞれ
結局そうゆう悪い逃げ口上になってしまいます(笑)

でも周囲の人が良いと言う物を騙されたと思って試してみる事は先が広がるので良い事だと思います

音楽を聴く事は単純に趣味ですから、それが生業である方々とは全く違う世界でしょう
昔は知る事に意義が有ると思い、作曲家の生い立ちやらエピソード等、楽曲の解説、出来上がった背景、演奏家について云々、本を読んだり雑誌を見て知識を漁った時期もありましたが、悪銭身に付かず??、豚に真珠、猫に小判・・・かな?
みんな忘れてしまいました
忘れる事に危機感を感じた時期を過ぎるとどうでも良くなり聴いて感じる事だけに集中出来るようになりました
今では忘れた事も知らない事もネットで検索すれば素人が欲しいくらいの情報はいくらでも出て来ますから覚える必要も無くなりましたね
まぁすべてが正しい訳でも無いのですが、趣味ですから間違っていても問題は無いでしょう

LPやCDを作曲家の年代別、作品の種類別に分けて整理していますので、作曲家年代を紙に記して貼ってあります
もう頭で覚えている事も曖昧で棚を探すのに手間取るようになったので、重宝しています

現代音楽は発展途上で試行錯誤がありましたが、最早型にはめる事自体無意味な事なので考える事すらしないようにしています

実際LPもCDも国内での発売は非常に少なくて、どこかで聴いて良かったのでと思い探しても手に入れられる事は希です
輸入盤でもメジャーなレーベルではなく、何だかレアな楽曲ばかりのレーベルに有ったりします
ネットでしか買う手段が無いので探すのも大変ですし、正直ネットで見れるデータは限られている上、ほとんど解説も有りません
東京辺りなら手に入れる手段も有るのかも知れないですが岐阜の田舎ではクラッシックとゆうジャンルでさえマイナーですからね
エピクロスさんでなくても、現代音楽も含め音楽の発展の先行きを憂いて居る方は多いでしょうね

私は元々クラッシックも聞きましたが、青春時代はロックも好きでした
今も好きで少しは聞いていますが、新しい物はチンプンカンプンです
たまたまベトナム戦争の盛りの頃で世界的にロックは大流行でしたし、日本ではフォークが全盛でした
当時のロック、聴きやすい物も多く有りましたが、まっるきり薬中のヒッピーが訳の判らない妄想の世界で奏でているような物が多かったです

何かメッセージが有るのでしょうが言葉が解らない私にはただの音でしかありません
聴きながら勝手な妄想に浸りながら聴いています
現代音楽も同じように聴きます
音楽家のメッセージよりも音楽と自分の思考がトランス状態でシンクロしていく感じでしょうかね
楽曲のイメージはどこへやら
自分の想い出やらこれからやら妄想やら、様々な思考に浸っているうちに時間が過ぎて行きます

実はシューベルトの歌曲も歌詞を全く理解しないで聴いています
それ故深くは入り込めないのでしょうね
私は今でもワグナーが聴けません
もう物語やオペラの内容を覚えるまで聞き込む根気が無くなってしまいました
いつか再挑戦と思っていますが、無理かも知れませんね
大体歌謡曲も苦手です
洋楽を聴くのは言葉が解らなくて邪魔にならないからです
日本語は言葉が心に入って来るのでうざいです
押し付けるなよって感じですかね(笑)

私は感覚だけで音楽を聴くのが好きになってしまったので、広く浅くで終わりそうです
なので私の話はあまり参考にはなりません
現代音楽についても他についても知ってる事は知っているとゆう程度です
知らない事は知りません
当たり前ですが(爆)
でも知らないから勉強しなくちゃとゆう意欲は有りません
好きなら勝手に覚わるでしょって感じですので、結局何も覚わっていません(笑)

多分危機感を持って一生懸命聴いてあげても、三百年後にはほとんど消えてしまう楽曲が多いのでしょうね
歴史を紐解く資料的価値は残っても音楽として生き続け人の耳に触れ続けられる楽曲は本当にほんのちょっとでしょうね
モーツァルトだって全部の曲を大好きだって言う人はあんまり居ないでしょう
サリエリの話しが有りましたが、モーツアルトが居なかったらサリエリの曲が演奏される機会なんてほとんど無いかも知れない
古典になればなるほど音楽家の数は少なくなって行きますが、現代に音楽を生業としている人の多さと言ったらもう・・・
現代音楽が生き残るって言う事の定義は一体どれほどの音楽が生き残ったらオッケーなのでしょうかね
古典音楽が生き残ってる確立から考えたら膨大な量になってしまうのではないでしょうか

服部なんとかって言う作曲家さんが小林なんとかさんに盗作だって訴えられた事が有りましたよね
本人は盗作じゃないって言ってますが、人生の中でタイヤのCM音楽を聴いて心地良かった体験がお有りなのかも知れませんね
心地良い曲を作ったらたまたま同様なメロディラインになっちゃったって事かも知れません
服部さん
他の曲もおんなじようなメロディラインの曲作ってますから、きっとお気に入りなんでしょう
ご自分でも気が付いて無くて頭に浮かんでくるんでしょうね

現代に完全なオリジナリティを持った作品を作曲するのは至難の業です
どこか真似と言われたり似ていると言われても仕方無いでしょう
そんな中で全く新しい物を生み出そうとする努力は壮絶なものだと思います
特許を取るのに特許庁のHPを見るのと同じくらい確認しても難しいでしょう
自然と出来た人は天才か、運が良かったかどちらかかもです
人と違う新しい音楽
必ずしも良い音楽を作る事とは違う面も有るかも知れないですね

これからも耳に入って心地良かった曲は聴いて行こうと思いますが、探求心は皆無です(笑)
まだまだ知らない曲と出会ってみたいですね
 

(無題)

 投稿者:ゼノン  投稿日:2010年 2月 6日(土)10時02分27秒
   エピクロスさんの書き込みを拝見して、いろいろ考えさせられました。ただ、いまは、これから出かけるので書けません。

hi-dee4さん、貴方が、いろいろ例をあげて説明を試みているのに、いちいち私が細かいことをあげて反論らしきことをしたのは間違いです。私の態度が頑なだったと思います。失礼しました。

以上、取り急ぎ書きました。
 

ゼノンさん

 投稿者:エピクロス  投稿日:2010年 2月 5日(金)23時11分48秒
  ゼノンさん

再度の書き込みありがとうございます。この書き込みで、ゼノンさんが積極的に
コミュニケーションをされようとする姿勢をお持ちであることが分かりましたので、
安心致しました。そこで、ゼノンさんが私の文章に対して出された疑問に、私なり
にお答えすることによって、この掲示板の場面を大きく転回したいと思います。

但し、わたくしは既に白旗を掲げておりますので、自分を反省する意味で以下のこと
書くのですから、再度曖昧だとの批判があろうかとも思いますが、それはご容赦願え
ればと思います。

>労働の中で作られた音楽ー旋法音楽ー調性音楽ー無調性音楽、という流れは、全く問題のないもの、むしろ音楽の発展と言えると思います。
◇本当に発展と言えるでしょうか?

わたくしは発展だと言えると思っています。勿論、そうではないと云う意見も多い
ことは承知していますが。無調だけで作られる音楽、更には12音階と呼ばれる新しい
音楽の型の提示は、避けて通れないものだったと思います。勿論、それだけでは駄目だ
というその後の展開も当然のことですが。その後は極めて多様な現代音楽が提起され
ました。

◇「それに対応する音楽は、近代音楽より現代音楽の方です。」これは、なぜですか?
「労働と時間が近代音楽の時期より機械化されている」から、それに、なぜ近代音楽より現代音楽が「対応」するのですか?そんなことがどうして言えるのでしょう?そうすると、はるかに過去のバッハやヴィヴァルディの音楽は「対応」できないのですか?どうも、ここで使われている「対応」の意味がわかりません。

音楽は、人間の生活、労働の中で作られたものと考えます。すると、複雑な機械化
された現代社会で生活し、精神労働をしているのは、現代の音楽家ですから、現代
社会に対応しているのは、現代音楽だと考えました。言うまでもなくだからといって、
バッハやモーツアルトが対応していないことはないのですが、近代音楽は巨匠によって
解釈されて現代社会に対応しているのだと思います。まさに現代は演奏家の時代ですね。

>このままだと、音楽がますます社会を反映しなくなってしまいます。感情、美の現代化が必要になっているのでしょうね。

この文章が最もいけなかったようですね。これは、長い音楽美の歴史、人間の歴史に
関する考えに基づいた文章でした。その部分をほとんど端折らざるを得なかったので、
曖昧になってしまいました。またまだ解明されていず、私にも分かり切っていない
ことを書いたので、それを見破られてしまったようです。

それぞれの時代には、その時代なりの美の基準、またその根拠になる人間観がありました。
しかしどうも20世紀になると、社会が極度に複雑になり、人間が疎外され、自我が
分裂してしまって、人間とは何か、美とはどのようなものか、感情とは何か、こうした
ことが分からなくなっていると考えます。人間は、断片的な自分には出会えるのですが、
本当の自分に出会えないで死んでいくことが多くなっているようです。人好きずきと
しか言えなくなっているようです。だから現代人は、過去の、慣れ親しんだ感情、基準
で物事を判断する傾向にあります。だから私はもっと自分探しをしよう、美や感情の
判断基準の現代化が必要ではないかと考えたのです。

まだお答えしなければと思う論点もありますが、このくらいにします。大変したたらず
でした。素人哲学者ぶって抽象的、空疎な言葉遣いになりました。わたくしの言いた
かったことは、hi-dee4さんが具体的で、やさしい言葉で書いてくださいました。さすが
ですね。またソフィアザーさんは、私が前提にしたことを補って実に見事に読みとって
下さいました。

未だ舌足らずで分からないと思われるかも知れません。ですが先ほども書きましたように
私の不注意な書き込みから起こった一連のやりとりを大きく転回するために白旗の中身を
少し詳しく書きました。

そこで、ゼノンさんがどのような音楽を、どのようにお聞きになっておられるか、
書いていただき、コミュニケーションを深めて行けたらと考えますが、どうでしょうか。

宜しくお願い致します。

エピクロス
 

ご丁寧にありがとうございます

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月 5日(金)21時24分0秒
編集済
  ゼノンさん

こんばんは

理解力云々は

言葉が足りず、波風を立ててしまったようですね、失礼いたしました
如何も私の話は観念的、抽象論的ですからお目汚し
は重々判っていますので押し付ける気持ちは毛頭ありません

今後とも宜しくお願いいたします


ご丁重なご対応をしていただき、誠にありがとうございます

PS

ウエーベルン、クセナキス、ペンデレッキ、ツインマーマン
20世紀の作品から
心の叫びが聴こえてきます

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh

 

(無題)

 投稿者:ゼノン  投稿日:2010年 2月 5日(金)17時46分1秒
  初めに。
 私、前回の投稿するにあったて、けっこう勇気を出して投稿しました。罵りあいは苦手です。
 ですから、バカなことをした。出さなければよかったと少し後悔していました。しかし、皆様の紳士的な対応にホッとしています。助かりました。感謝しています。


エピクロスさん。
紳士的なご返信ありがとうございます。お詫びは必要ないと思います。別に誰を傷つけたわけでもないのですから。私のほうこそ、気を悪くされたのでは、と恐縮しています。

>私は現代音楽を聴けば聴くほどバッハやモーツアルトがもっともっと面白く聴けるようになると勝手に考えているのです。
◇なるほど、そういうことでしたか。そういうふうに書いていただくとよくわかります。

>言葉は誰にでも理解できなければならないものですが、実際には、その人が生きている場やコミュニティに依存しています。生きる場やコミュニティが異なると、同じ言葉を使っても、意味するところが正確にわからなくなったり、伝わらなくなったりしてしまいます。
◇おっしゃる通りです。恐らく、いつもお付き合いのあるソフィアザールさんには、分かるのでしょうが、私には意味不明の言葉がいくつかありました。例えば「感情・美の現代化」です。

 私信でしたら、それでよいでしょうが、ここは、万人が読む掲示板です。言葉の意味を明確にしてお使いになるとよかったのかなと思います。

 決して自賛するわけではありませんが、私は極力誰が読んでも分かるように書いているつもりです。それでも、、読み返すと独りよがりのところがあり、これでは人様に意味が通じないと思うことが多々あります。

 そういうわけで「現代音楽はつまらない」と超わかりやすく書いたら、この意味は誰でも分かるらしく、早速、それは、偏見だ、とこれまた、明快な回答がありました。

 エピクロスさん。うっかり投稿してしまいエピクロスさんに嫌な思いをさせてしまったのではないかと私は、まだ後悔しています。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


ソフィアザールさん。
 よろしくお願いいたします。もう出るところに出てしまったので?居直って(スミマセン)違うと思うことは違うと書かせていただきます。
>しかし私には空虚には聴こえません
◇エピクロスさんには申し訳ないのですが、意味がわからない言葉が続くと、全体として言葉のみで飾った空虚な文章に見えてしまいます。

>エピクロスさんは現代音楽を何故に聴かないかを皆で考え分析しようと提案しているのです
◇それは、わかる気がします。

>言葉を選びながら深く考えていく事で問題提起していると私は理解していますが如何でしょうか
◇これまたエピクロスさんには、申し訳ないですが、そう思いません。個々の言葉の意味を親しい人とか自分だけでなく、誰にでも分かるようにする努力が欠けていたと思います。言葉の意味をハッキリさせてから使うべきだと思います。

>つまらないからという応えは先刻承知の上で何故につまらないと思うのかを問いかけています
◇「何故につまらないと思うのかを問いかけています」そう書いてありません。仲間内ではわかるのかもしれませんが、第三者にはわかりません。そう思うのならば、そう書けばよいのではないでしょうか?

>理解力の違いにより人様々に誤解も生じるようです
◇これは、取りようによっては、波風の立つ書き方ですね(笑)。すみませんが、私の投稿をもう一度読み返していただき、私が何を問題にしているかを「ご理解」ください。

>私から言わせていただくと現代音楽は面白いですし修行でもありますから人様々です
◇「修行でもあります」これは、ソフィアザールさんは、音楽サロンを経営されてますから、そうでしょうね。いわば、聴く側のプロです。現代音楽が面白いという人がいらっしゃることは認めます。私の書き方は、取り方によっては、みーんな嫌いだ、と取れないこともありません。反省します。

 それから、私は、全くの一般人ですから、修行ではありません。私の知る限りの音楽愛好家もプロではないので、皆、私の知る範囲では修行と思っている人はいません。楽しい趣味の一つです。

 念のため言いますが、あくまでも私の周辺です。普遍的な意見ではありません。やはり言葉は難しいです。私の文章は、誰にとっても音楽を聴くのは修行でないと取れます。

 ソフィアザールさん、丁寧に返信いただきありがとうございます。いちいち逆らっているようですが、私の真意をご理解いただきたく思います。今後ともよろしくお願いいたします。


hi-dee4さん、よろしくお願いします。
>それは偏見ですよ つまらない演奏しか聴いた事無いからつまらないんです
◇わかりやすい回答ありがとうございます。そうかもしれません。ただ、私は、同じ1時間しか自分に与えられていないなら、どうせなら、疲れそうな現代音楽よりも、心地よいよく知っている作曲家の曲を聴きたいほうなのです。こちらは何度聴いても飽きません。現代音楽はいささか尻込みしてしまいます。

 これは、CD買うときも同じです。3000円しかなければ、バッハとかそっちに行ってしまいます。食わず嫌いのところはありますね。

>能や狂言なども現代音楽やアートと非常に似通った面が多いと思います
◇これはどうでしょうか?私は能、狂言(大昔、やったまではいかないのですが、狂言の端っこをホンのちょっとかじったことがあります)は好きですが、現代音楽は苦手です。私の中では似通っていません。お説は必ずしも普遍的とは言えないと思います。

 ついでに言えば、江戸時代の琴や尺八の名曲は好きです。ただ、中に唄が入ってるのは苦手ですが。琴や尺八の名曲は、私の中では西洋のクラシック音楽に通じるものがあります。あくまでも個人的意見です。

>ピカソとモネやルノワールを比較した時に思うのは、やはり現代音楽とモーツァルトやチャイコフスキーとの違いと同じだということです
モネやルノワールは図鑑や映像で観ても美しいと思えるのにピカソや岡本太郎はただ奇異なアートに見えてしまう事が有ります
◇これも逆らってしまいますが、あくまでも私の中では意見が違います。モネ、ルノワールと同じくらいピカソやブラックが好きです。なぜか、ピカソの絵は見ていて心地良いのです。ただ、岡本太郎はダメです(あくまでも私はですよ。決して岡本太郎の芸術性を否定しているものではありません)。なぜか苦手です。私にとって岡本太郎が現代音楽?

 以前、私の職場のボスが岡本太郎の絵だったか版画だったか(興味ないので記憶にない)を3点くらい買って職場に飾りました。(ボスは職場の金で買ったのです。ムダ金がある職場ですねー)

 どうも好かんな、と思っていてあるとき名前を見たら岡本太郎とあり、あ、やっぱり自分とは相性が悪いんだと思ったことがあります。

>実験的な現代音楽って車で言えばF−1みたいなもんです
自動車の性能を極限まで高めるために行われる実験です
現代音楽は同じように音楽表現を様々な方法で試す実験的な試みでも有ります
多分つまらないと言われたのはそうゆう楽曲に付いて言われているのでは無いでしょうか
◇また、すみませんが、例えがよくないと思います。F1レースは面白いですよ。好きです。

 hi-dee4さん、これからもよろしくお願いいたします。
 

エールありがとうございます

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月 5日(金)08時33分30秒
編集済
  hi−dee4さん


おはようございます

私が好ましく思う演奏家は古典から現代まで興味を持って
演目に取り上げる音楽家ですが
残念ですが実際は多くはいません

若い方ですと古典を勉強中だったり
自分に会う音楽はロマン派と専門的になり易いですね

それは致し方ないことです
プロの演奏家はお金を戴くわけですから自分の最高の
音楽を聴いていただく事を目指すわけですから
レパートリーの広い人はそうはいません

まして、現代音楽は作曲家が存命ですと
依嘱された時は作曲家の満足も考えなくてはいけませんので
ハードルは高いですね
作曲家が自ら演奏する場合も多いのですが
作曲家の想いと演奏家の技量と感性の一致が必要です

作曲家、演奏家、聴き手の三者の精神の共鳴を得ることは
難しいことです、この緊張感は
hi−dee4さんが指摘するように興味深いですね


つまらないを考えた時にもう一つ思い当たる事は
楽曲が時代の先を行った場合です

得意の絶頂にあったモーツアルトも晩年は人気に陰りが出て
お金に困りフリーメースンの信者のパトロンに借金の無心を
頻繁にするほどに困窮してしまいました

これは当にモーツアルトの音楽が時代を追い越してしまった事の証明です
この時代にはアマデウスの映画で有名になりましたがサリエリの音楽が
もてはやされていました、サリエリを
今の時代に聴くと凡庸で、その時代の流行の中に埋没しています

現代のモーツアルトを探す旅もまた楽しみです

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh

 

ちなみに

 投稿者:hi-dee4  投稿日:2010年 2月 5日(金)02時00分17秒
  聴く側はただ味わえば良いのであって難しく考える必要は無いのではないでしょうか

考えても良いし考えなくても良いと思うのですが

ただ電気録音のお陰で安易に音源が手に入ってしまう今
録音で味わえ得ない物は不要と思われてしまうと大変です

ソフィアザールさんのような方々が少しづつでも現代の音楽を聴衆に接する事が出来る機会を作って頂けるようお願い致します

聴衆のレベルに合わせる事も必要かと思いますが、難しいと思わせないよう演奏前にレクチチャーをして頂ければ知らない現代音楽も入り込みやすくなると思います

実際私のような不勉強者はサロンコンサートでの解説や簡単なレクチャーは有りがたいですから
チャーミングな現代音楽って結構多いと思うんですが
よろしくお願い致します
 

偏見ですよ

 投稿者:hi-dee4  投稿日:2010年 2月 5日(金)01時40分30秒
  現代音楽はつまらない

それは偏見ですよ

つまらない演奏しか聴いた事無いからつまらないんです

多分、現代音楽でもかなり実験的な側面を持った楽曲の事を指して言ってみえるのかも知れませんが

実験的な現代音楽って車で言えばF−1みたいなもんです
無駄を削ぎ落として必要な物だけを求めるような感覚です
演奏家は余程真剣に楽曲と向き合って自分の表現をしないと聴いた人には伝わりません

まぁ勝手に実験的と言ってると叱られそうですけど、ニュアンスとして捉えて下さいね

でも意外と接する機会は多いと思いますよ
昨年はクラリネットだけの演奏会に行って来ましたが、ほとんどが現代の作家の曲か近代のヒンデミット辺りの曲までした
クラリネットが一本だけで表現する音楽
古典ではそうゆう楽曲は少ないですが、現代音楽には最低限の編成で演奏出来る楽曲も多くて、例えば吹奏楽の学生なんかにも多く取り上げられている事が多いです

無伴奏チェロとかヴァイオリンとか言うとバッハって事になりますが
現代音楽にはそうゆうシンプルな編成は多いですよ
決まりにとらわれず自由な編成で楽曲が出来るので良いのです
古典派の多くの作曲家は特定の演奏家のために必要な編成で音楽を提供していますが
現代もそうゆう側面は非常に多いです
型にはまった編成に足りなくて不自由な思いをしなくても有る編成に間に合わせて作ってしまえば良いのですから
有る意味古典に回帰しているとも言えるのではないでしょうか

ただ問題は録音で聴いた時にどれだけ演奏の内容が伝わるかという事です
生で聴くと圧倒的な感覚が得られますが、録音ではかなり冷めた感じに聞こえてしまうのではないでしょうか
生で演奏家の真剣さと対峙して聴くのと録音とでは、現代音楽程差が出るカテゴリーは無いのでしょうか

ただし表現する物が様々なので心地良い物ばかりではありません
時にはグロテクスクであったり威圧的であったり
びっくり箱みたいであったり
まるで音の無い静けさであったり
音で表現するアートに近い物も多いです
解るとか解らないとかいう考えを捨てて、その時の音の空間に自分で身を委ねる事で演奏と観客が一体化するという感じでしょうか
人が何と言おうと音を聴いて自分が思うイメージに浸れば良いのですよ
曲によっては物語を感じるような物も有りますしね

つまらないと言ってしまえばそうなのかも知れませんが
能や狂言なども現代音楽やアートと非常に似通った面が多いと思います
前者は厳しい決まりの中で演ずる人達が研ぎ澄まされた表現で観客を引き込みます
無駄が無く、自由度の少ない演技の中で強い個性が発揮されます
これも映像で観るのと生で体感するのとでは全く別の世界です

ピカソとモネやルノワールを比較した時に思うのは、やはり現代音楽とモーツァルトやチャイコフスキーとの違いと同じだということです
モネやルノワールは図鑑や映像で観ても美しいと思えるのにピカソや岡本太郎はただ奇異なアートに見えてしまう事が有ります
実際に本物を観ると、それまで観ていた物がすべて偽物だった事に気付きます
生では圧倒的な迫力で絵の前に立つ物を引き込みます

F−1もテレビで観てもただの自動車競争ですが、サーキットで遠目からでも観たらその速さに恐怖感さえ抱きます
多気筒エンジンが高回転で発する苦しそうな悲鳴のようなエンジン音
録音では到底味わえない感覚です
たくさんのマシンが様々な方向から凄まじい音で迫って来ます
金属の焼ける匂いやタイヤが焦げる匂い
路面から伝わってくる振動や衝撃
映像では自分でも運転出来そうなのに生で観るF−1は人が運転してるとは思えない速さです
大勢のF−1ファンがサーキットに詰めかけるのは、その臨場感に浸りたいからだと思います
彼らはF−1を体で感じるためにサーキットに行くのでしょう

もうひとつ
F−1はただのレースでは有りません
自動車の性能を極限まで高めるために行われる実験です
現代音楽は同じように音楽表現を様々な方法で試す実験的な試みでも有ります
多分つまらないと言われたのはそうゆう楽曲に付いて言われているのでは無いでしょうか
ですがその試みは意外ですが、ポップスや映画音楽、日本の歌謡曲なんかにも応用されています
映画バックトゥザフューチャーの音楽を担当したアラン・シルベストリの音楽も非常に実験的ですし映画の効果のために擬音かと思われるような音楽も有りますが、ちゃんとオーケストラで演奏していますし、彼は現代音楽の作曲家です
スターウォーズのジョン・ウィリアムスもレナード・バーンスタインも現代音楽の作曲家です
ただ聴いている側も使っている側もそれが現代音楽の産物だとは思っていないから判らないだけです
現代音楽と共にジャズやロックも多くの実験的試みで進化し続け、それはクラッシックにも日常耳にする聞き慣れた流行歌にもドンドン応用されています
耳に入って心地良い物で有れば何でもジャンルの境無く応用されています

クラシック界の現代音楽は留まる事無く進化して数年前の曲はもう現代音楽では無いと言われるくらいです
実際録音で手に入る現代音楽はほぼ20世紀の産物で、すでに古典の部類です
多くの古典音楽が消えて埋もれていったように現代音楽と言われる演目も消えていく物も多いです
それは自然淘汰ですから仕方有りませんし、実験は実験で作品としての寿命は短いのですから仕方無い楽曲も多いのです

ただひとくくりに現代音楽はつまらないと言わないで、何故つまらないのかを考えて頂きたいと思います
そうすれば能や狂言を観に行くように、現代音楽も足を運ばなければその良さは判らないという事に気が付いて頂けると思います
非常にシンプルで無駄が無く純粋な音楽表現の世界を味わう事が出来ると思います
味わうためには楽器の響きや会場の響き臨場感が必要な場合も多いです
オーディオで表現しにくいジレンマの世界ですね

現代音楽の音の世界に魅力を感じると、装飾音の多い古典が煩わしく感じる事も有ります
私もそんな時期がありました
でもオーディオで表現するのは本当に難しい物も多いですよ
良さを知ってから聴けば全く違うのですけどね
イメージの湧き方が違いますから

だからと言って現代音楽をお薦めしている訳では有りません
現代音楽に対峙するのは多くの場合演奏家も聴衆も疲れる事が多いと思います
日常の癒しのためにはあまり適したジャンルでは無いと思います
中にはゆったりと美しい物も有ると思いますが、多くは無いと思います
現代音楽とは現代に作曲された曲全般では無くて、やはり実験的に偏ったジャンルを指す場合が多いので聴く側も真剣に聞かざるを得ないのです
家庭で録音で聴くよりは生演奏に足を運んで聴く方が適していると思います

たまたま接する機会が有ってはまった人や、専門に勉強をした人、または職業的に接している人
そうゆう人は有る意味楽しんで聴く事も可能ですが、特に求めて聴く必要も無いと思います

良さを知ってみたいと思うなら、もう少し古い年代のラベルやドビュッシー、ストラヴィンスキー辺りから順繰り何となくへんてこな音の作り方をしている楽曲から馴れて行くと良いと思います
シェーンベルクやバルトーク、ベルク、ウエーベルン等も良いと思います
プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチはポピュラーですが楽曲に因ってはかなりへんてこです
ヒンデミットまで来ると室内楽はもうメチャクチャです(笑)
それでもこの辺りは良い録音が手に入りますし、オーディオで聴いても楽しめます
その後の作曲家はそれぞれに個性が有りますので出会ったところ勝負って感じです
一度現代音楽の作曲家で検索してみて下さい
ものすごく大勢出てくると思います
多分知ってる作曲家はほんのちょっとしか居ないと思いますよ
黛俊郎や武満徹も良いと思いますが理解しようと思ったら難しいです
その辺は録音ではなかなか味わいにくいと思いますので
私も理解は出来ませんが味わう事は出来るようになりました
でも最初NHKのテレビで武満徹を聴いたのは中学生でしたから、なんじゃこりゃって感じでしたけどね
やっぱり近代の作曲家のへんてこ所から聴き慣れて行くのがいいと思います

ちなみにうちの家内はストラヴィンスキーを聴いてると気違いの音楽だと言って怒ります(爆)
 

つつましく、また内面的に思考する

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月 4日(木)13時43分6秒
  フルトベングラーの著書
「音と言葉」最初に読んだのは、たしか大学生のころでした

初めて読んだ時、読み進んでは戻り、その繰り返しを
しながら、意味が分からず首を傾げていました

フルトベングラーの「音と言葉」
その当時は、今思へば私の理解力が不足していたのです

自分の不理解を棚に上げて翻訳者の芳賀壇氏の翻訳がまずいのでは
長い間思い込んでいました
初めて読んだ年を二つ足すほどの後年に再び
読み返したところ恥ずかしい話ですが
自分の思い上がりであったことに気が付かされました

言葉と言葉の行間を読む
音と音の間の休符を味わう

年と共に教えられる事は多々あります

エピクロスさんの率直な返答に思うところです

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白旗

 投稿者:エピクロス  投稿日:2010年 2月 4日(木)12時46分10秒
  ゼノンさん

レスありがとうございます。あなたが書き込まれた内容、すべて理解
できますので、一旦白旗を上げさせて頂き、御批判に答えられるように
なったら、再度同じ内容を書き込ませていただきます。

言葉は誰にでも理解できなければならないものですが、実際には、
その人が生きている場やコミュニティに依存しています。生きる場や
コミュニティが異なると、同じ言葉を使っても、意味するところが
正確にわからなくなったり、伝わらなくなったりしてしまいます。
ゼノンさんが書き込んでくださったので、そのことが改めてよく理解
できました。

私は現代音楽を聴けば聴くほどバッハやモーツアルトがもっともっと
面白く聴けるようになると勝手に考えているのです。

ゼノンさん、今後も忌憚のない書き込みをお願いします。

ソフィアザールさん、私のつたない書き込みを、いろいろ補って
理解していただきありがとうございます。

皆様にもお詫びいたします。今後はもう少し深く考え、文章を投稿
することをお約束いたします。

エピクロス
 

人様々な想い

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月 4日(木)08時06分26秒
編集済
  ゼノンさん

おはようございます

はじめまして、宜しくお願いいたします

言葉に込められた想いを伝える事は難しいことですね

エピクロスさんの書かれた
先の書き込みを拝読してゼノンさんのような感想を持つ方もおられる
事も承知しています、しかし私には空虚には聴こえません

エピクロスさんは現代音楽を何故に聴かないかを皆で考え
分析しようと提案しているのです

言葉を選びながら深く考えていく事で問題提起していると
私は理解していますが如何でしょうか



>私も含めて、私の知る限りのクラシック音楽愛好者で、現代音楽を、あまり聴かない
>人の理由は、面白くない、つまらないからです。バッハなど、いわゆるクラシック音楽
>のほうが聴いて楽しく、心地よいからです。楽しい音楽が沢山あるのに、無理して
>つまらなく感じる音楽を聴く必要はありません。音楽を聴くのは、「修行」
>ではありません。

このことは現代のクラシック音楽のコンサートのプログラムを見れば
端的に現れています

10年一律の如く代わり映えのないプログラムが並びます
商業活動としてコンサートを企画しなければ興行は成り立たなくなります
好き好んで同じようなプログラムになるかは聴衆の需要に応えているからですね


エピクロスさんは
つまらないからという応えは先刻承知の上で
何故につまらないと思うのかを問いかけています

その理由を深層心理まで遡り広く考える意味で言葉を選んでいますので
理解力の違いにより人様々に誤解も生じるようです
言葉を読む事と理解する事の難しさをゼノンさんの書き込みを拝読して
痛感しました

私が生きている間は現代音楽を聴く事が出来ます
同時代コンテンポラリー音楽と言う意味です、当たり前ですね(笑)

現代音楽をつまらないとは
生きている限り未知の曲に出会うことが可能ですから
わたしには決め付ける事は出来ません
だからこそ三線譜の時代から現代の調性不在の音楽にいたるまで
聴き続けています

私から言わせていただくと現代音楽は面白いですし
修行でもありますから人様々です


エピクロスさんの問いかけに対して
私は現代音楽を聴きながら何故と自問自答しながら
聴き続けて答えを模索したいと思います

言葉は読むものではなく解することの重要性に
気づかせていただいたゼノンさんの書き込みでした

PS

私事で恐縮ですが
私がプロデュースさせていただいているソフィアザールサロンのコンサート

お客様が聴きたい音楽をプログラミングする事も勿論の事大切ですが
演奏家の試行錯誤の場としてキャリアのステップアップに繋がる
プログラムをとお願いしています

たかだか50名ほどの空間のホールですから
演奏者へのギャラを考えると集客は重要ですが
入場料金を高くする事には抵抗があります

演奏家の可能性を聴く事に主眼を置いたコンサートを願っています

商業的なコンサートの成功は
お客様のニーズを考える事が欠かせない事と了解していますが
小さなサロンでこそ可能な現代のクラシック音楽の試行錯誤です
その分
演奏は言葉に出来ない程、濃密に響きます

ソフィアザールサロンでは夏、冬にお馴染みの
ヴァイオリニストの滝千春さんのコンサートがあります

3月7日(日)14時開演
ミューザ川崎シンフォニーホール

バイロン・フィデチス指揮  東京交響楽団

カロミリス: 三連画
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82
ドボルザーク:スラブ舞曲集 差気品46

三連画は指揮者バイロン・フィデチスと同じく
ギリシャの作曲家カロミリス1937年作曲の3つの管弦楽曲です

大ホールでの集客を考える時、プログラムは非常に重要ですね


今後とも宜しくお願いいたします

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>現代社会と現代音楽

 投稿者:ゼノン  投稿日:2010年 2月 4日(木)01時16分54秒
   エピクロス様。文章を真面目に読ませていただきました。そこで、疑問点を書いてみました。

>労働の中で作られた音楽ー旋法音楽ー調性音楽ー無調性音楽、という流れは、全く問題のないもの、むしろ音楽の発展と言えると思います。
◇本当に発展と言えるでしょうか?

>労働も、時間も、現代は明らかに近代音楽の時期より機械化され、大きく変質しています。それに対応する音楽は、近代音楽より現代音楽の方です。
◇「それに対応する音楽は、近代音楽より現代音楽の方です。」これは、なぜですか?
「労働と時間が近代音楽の時期より機械化されている」から、それに、なぜ近代音楽より現代音楽が「対応」するのですか?そんなことがどうして言えるのでしょう?そうすると、はるかに過去のバッハやヴィヴァルディの音楽は「対応」できないのですか?どうも、ここで使われている「対応」の意味がわかりません。

>でも現代の我々には、現代音楽はあまり聴かれず、避けられている傾向があります。現代社会に生きている人間は、明らかに現代音楽と近接性があるのに何故なのでしょう?それは人間の感情というか、深層心理の問題としか言いようがありません。
◇ここでは、恐らくクラシック音楽愛好家を対象に話していると思われるので、クラシック音楽の流れの先にある音楽をとりあえず、エピクロス様がおっしゃる「現代音楽」として捉えます。

 そこで、現代音楽があまり聴かれない理由ですが、「それは人間の感情というか、深層心理の問題としか言いようがありません。」そうでしょうか?

 私も含めて、私の知る限りのクラシック音楽愛好者で、現代音楽を、あまり聴かない人の理由は、面白くない、つまらないからです。バッハなど、いわゆるクラシック音楽のほうが聴いて楽しく、心地よいからです。楽しい音楽が沢山あるのに、無理してつまらなく感じる音楽を聴く必要はありません。音楽を聴くのは、「修行」ではありません。

 現代音楽を聴かない理由は簡単です。つまらないからです。「深層心理の問題」なんかじゃありません。なかには、オーディオ的には面白いのもありますが。

 なぜ、こういう簡単なことを難しくおっしゃるのでしょう?

「現代社会に生きている人間は、明らかに現代音楽と近接性がある」ということにも疑問を感じます。我々が、今、生きているときに創られているから「近接性がある」のでしょうか?あまり聴かれないのならば、「近接性」など無いのではないでしょうか?むしろ、乖離していると言ったほうが当たっているようです。

>このままだと、音楽がますます社会を反映しなくなってしまいます。感情、美の現代化が必要になっているのでしょうね。
◇「音楽が社会を反映しない」(社会を反映する、しないの意味が不明確ですが、それは置いておきます)と、それは、悪いことなのでしょうか?バッハやヴィヴァルディは「現代社会を反映」しているのでしょうか?はるかに現代音楽より聴かれていると思われるのに。そして、現代音楽が社会を反映していれば、聴くのでしょうか?反映しようがしまいが、つまらないから聴かれないのではないでしょうか?

「感情、美の現代化が必要になっているのでしょうね。」:これは、非常に疑問に感じます。「感情の現代化」とは一体なんでしょう?意味不明です。「美の現代化」とは、これまたなんでしょう?
 古代ギリシャ彫刻の美は「古代」だから「現代」では通用しないのですか?

 そして、「感情、美の現代化」が「必要」というのが全くわかりません。そうなると、「現代音楽」を聴くようになるのでしょうか?

 以上、どうも意地悪発言のようですみません。ただ、失礼ながら余りにも空疎で抽象的な言葉の羅列はいかがなものか?と。
 余計なお世話かもしれませんが、これが、このまま異議なしのままではおかしいのでは、と異議ありの旗をあげさせてもらいました。

 和やかにおやりになっているところに、すみません。そのことについては、あらかじめ謝っておきます。喧嘩はする気がありません。
 

喪失の時代

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 2月 3日(水)21時42分44秒
編集済
  現代音楽

封建時代の奉仕する音楽からフランス革命を経て
共和制へと主君の関係が見直されロマン派へと
人間開放へと進みました

音楽においても機会音楽から
個人の精神の内面を大切にする事がテーマにと変化してきました

産業革命による急速な科学の進歩を経て物質的には現代社会は
各段に豊かになりましたが、肝心の心の豊かさが置き去りにされて
喪失の時代とも言える現代を向かえその不安が現代音楽に反映されています
当に喪失の時代にふさわしい不協不安の音楽です

聴き手である大衆の音楽に対する要求は緊張する社会生活の
精神バランスを取リ戻す為の
気晴らし、安息や救いとして音楽に慰めを求めています

現代の演奏会の演目は古典派からロマン派で占められています

ニーチェの「神は死んだ」独白は当に現代の夜明けとすれば
夜明けからの長い一日の終わりは何時来るのでしょうか
答えを求めて現代のクラシック音楽に注目し続けています

喪失の時代ともいえる現代に於ける現代音楽
音と音を繋ぐ休符の持つ深い意味に注目しています

現代音楽のオーディオ再生に於いてこの休符の再生
四半世紀に遡るオーディオ再生の拘りでもあります

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現代社会と現代音楽

 投稿者:エピクロス  投稿日:2010年 2月 3日(水)12時33分56秒
編集済
  皆様

ここ数日、現代音楽に関していろいろ読んだり、聞いたりしていました。
理論的には、労働の中で作られた音楽ー旋法音楽ー調性音楽ー無調性音楽、という
流れは、全く問題のないもの、むしろ音楽の発展と言えると思います。

労働も、時間も、現代は明らかに近代音楽の時期より機械化され、大きく
変質しています。それに対応する音楽は、近代音楽より現代音楽の方です。

でも現代の我々には、現代音楽はあまり聴かれず、避けられている傾向があります。
現代社会に生きている人間は、明らかに現代音楽と近接性があるのに何故なのでしょう?
それは人間の感情というか、深層心理の問題としか言いようがありません。
現実には、主観や人間は分裂し、疎外され、機械化されているにもかかわらず、感情は
近代のまま、無傷でいたいということなのでしょうか。魂の感ずる美と良く言いますね。
でも科学的には、魂という実体などは遙か以前に否定されてしまいました。

このままだと、音楽がますます社会を反映しなくなってしまいます。感情、美の現代化
が必要になっているのでしょうね。これが出来れば、近代音楽も新しい装いのもとに
再活性化されることと思います。

難しい問題ですが、避けては通れない問題ですので、しっかり考えて行きたいと思い
ます。

エピクロス
 

表現としての歌曲

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 1月30日(土)12時14分43秒
編集済
  エピクロスさん

こんにちは
レスありがとうございます


ヴォルフの熱い生き様は
時代を超えて現代の私達にも友人のような親近感を持ちますね

ゲーテ歌曲集の他アイヒェンドルフ歌曲集
シューマンとの違いも興味深いですね

年と共に益々歌曲が身近にあります
ライフワークとしてのドイツリートの世界が身近にあることも影響していますが
若い頃はオペラを盛んに聴いていました
年々歌曲がとても身近な存在で心に響くようになりました
音と言葉に託した歌曲の持つ精神世界に嵌っています

当に人生での生きる指針の啓示に溢れています

昨夜もプーランクの歌曲を聴き
音を従えた
言葉と音との親密な融和を強く感じ入った次第です

何処からとなく
リヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌が聴ここえてきました

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ヴォルフ考

 投稿者:エピクロス  投稿日:2010年 1月29日(金)18時15分16秒
  ソフィアザールさん:

ゲーテ、シェークスピア以来、人間は自分と自分が闘わない限り生きられなくなった
ことが明らかになりました。明るく楽しく皆と生きたいのだが、夢の中でしか孤独や
死から逃れられない・・・多くの二律背反に引き裂かれてしか生きられない、これが
我々の現実です。その中で、徹底的に内面に沈潜しながら、孤独の中で真の愛のための
歌を作った、それがシューベルトーフーゴーヴォルフだったのだと思います。

それ以来、現代人は未だヴォルフを苛んだ状況を克服できていないのですね。音楽的にも
現実的にも克服しなければならないのですが・・・・

ソフィアザールサロンは、その状況に対峙しているのでしょうね。勿論、深刻にならず
笑いや遊びの観点から。
 

人間性の限界

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 1月23日(土)23時22分27秒
  ドイツリート、ロマン派音楽の歩みと共に、歌曲の世界を長年さ迷い歩いています

社会構造の変化、音楽の世界とても無縁ではないことをシューベルト・シューマン
を経てヴォルフの激しい機知の世界へと導かれていきます
ゲーテの詩による「人間性の限界」「ウイルヘルム・マイスターの修行時代」
等を聴く時、啓蒙思想の歩みとドイツリートの音楽の系譜に思いを馳せています

封建制から市民社会へと怒涛の変革がフランス革命で成し遂げられ
やがてドイツにも波及しシューベルトから遅れる事半世紀、H・ヴォルフの歌曲に
シェークスピアの戯曲に通じる生の人間の息遣いや想いを強く感じ取る事が出来ます

急に硬い話になりましたので喜劇の話を
ソフィアザールでは昨日の金曜日から3日間
5公演で始まったシェークスピアの最後の喜劇「十二夜」から”音楽で恋が育つなら”
今日は中日のゲネプロを聴き、音楽に託された人間性の証明の道具としての
オーディオ装置の役割の重要性に改めて思い知っています

ヴォルフはゲーテの詩を題材に疾風怒濤の時代に時空を超えて
我々現代人にデモクラシーとはと語りかけています

何時の世でも人間の根源として「当てこすりの歌」「コフタの歌」等
皮肉たっぷりの俗世界をヴォルフの歌曲は音楽を哲学に昇華され痛快極まりない
世界です


聴き易く、耳に心地の良い音楽ばかりではオーディの限界が見えてきます
これもまた人間性の限界に内包されています


オーディオで音楽が育つなら、永遠のの課題でしょうか

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Re,音つくり

 投稿者:ビックリマスダ  投稿日:2010年 1月22日(金)11時59分2秒
  FUKU  さんレス有難う御座いました、上手くオーバーホールできたようで良かったです。
信頼できる技術の有る方が居ると安心出来ますよね、私も今真空管アンプの一台とレコードプレーヤーの一台が不調でオーバーホールを予定しています・・・
 

喪失の時代

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 1月22日(金)10時12分7秒
編集済
  おはようございます

エピクロスさんの
たわごとを拝読して現代の音楽世界を振り返ってみました

バロック、古典、ロマン派と時代時代の社会の要請が音楽に
反映して来たことが直ぐに思い浮かびました
芸術の復興をイタリアルネサンス求めるとすれば
音楽においてはフランス革命を通してのロマン派の誕生に
精神の開放を音楽に託されている事が聴き取れます
20世紀
戦争の時代と言われているように現代音楽は当に喪失の時代
と強く感じ取れます
オーディオ再生には厳しい現代音楽に対する興味の源泉は
この喪失感にあるのではないかと
エピクロスさんのたわごとと繋がるため息にも似た感情と合い通じる
想いではと、ふと思いあたりました

音楽芸術

録音と再生
ドグマに通じる現代の不安としての喪失感をオーディオに
求めていることは確かな事です
消えさる物は美しいという事でしょうか

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音つくり

 投稿者:FUKU  投稿日:2010年 1月21日(木)19時18分57秒
  マスダさんへ

今回思い切ってタンノイのユニットのオーバーホールしました。
理由は、どうも音が変なのです。低域が特におかしいのです。
何らかの異常があると判断し、修理に出しました。

できるだけ、タンノイの音にかかわる基本的な部分であるコーン紙とエッジは変えずに、ユニットが正常に動くようにとお願いしてオーバーホールしました。綺麗に整備されて返ってきました。

ハードエッジですが、25年間に渡り使っているうちに、少しずつ劣化がきていたようです。錆とよごれの清掃とエッジの硬化を丁寧に直してもらいました。

ふくろうさんが訪問時は、まだ堅さが残っていました。現在は、その時よりも音が、かなり良い方向に向かってきています。全体の音が、とてもさわやかで力強くオートグラフらしい響きになりつつあります。アンプもオーバーホールし、コンデンサーや真空管も変えました。

オーディオ機器は、長く使うためには、オーバーホールは必要なようです。
良い勉強になりました。

エピクロスさんへ

お書きになっているように、何か1つでも機材を変えると、ゼロからの再スタートと考えて、音作りをやっていくことが必要になるようです。

また、オーディオにおける音作りは、使う人の心の中にあると思います。
すべては、使う人の心の持ち方で決まってくるようです。
オーディオや音楽に対する心で、音が作られていくようです。
このことは、長年オーディオをやってきた末やっとわかってきました。

美しい音を作り出すことは、むずかしいと思います。
気長にやっていくしかないようです。
共に頑張りましょう。
 

たわごと

 投稿者:エピクロス  投稿日:2010年 1月21日(木)16時56分20秒
  20世紀になると、音楽をつくり出す側に革命が起こったし、聴くほうのわれわれにも
大きな変化が訪れた。近代音楽に向き合っていた主体的な人間が粉々に砕け散って、
自我が分裂し、その断片は時間の流れに埋没してしまった。したがって音楽を通じて
わレわれが美に出会えるのは、ほんの一瞬のことであり、またそうすることによって、
われわれは砕け散った自分の断片と出会えるだけである。さらに一瞬で会えた美にあ
まりにも執着すると、それはたちまち美ではない別のものに転化してしまう。会うこ
とは別れることの始まりである。

この2,3日、このようなたわごとが頭を駆け巡っていた。それもそのはずだ。ひょんな
ことから中井正一の『美学入門』を読み返したからであり、また深夜にある一つのCD
を繰り返し繰り返し聴いたからである。さらに仕事が上手くいかなくていらいらしていたことも影響しているだろう。

最初は、高音部分がきつくとても聞いていられなかった。しかし、プリ、音量などを
調整して聴き進めるにつれて、音楽が躍動し始め、ああ、これだという瞬間が訪れた。

これはどういうことなのか、耳が慣れたのか、プリがうまく機能して美しい音になったのか、電圧の変化なのか、あるいは仕事が上手く行かずイライラしていたのが、問題が
解決されてイライラが無くなったためなのか。よくわからない。おそらくそういう条件
がすべて重なったためだろう。

オーディオは機械が作り出す音楽美であるし、また機械そのものの美、機械美でもある。
だが、それは重要だが、美を作り出すもののほんの一部に過ぎない。
 

FUKU さん

 投稿者:ビックリマスダ  投稿日:2010年 1月20日(水)09時57分57秒
  ユニットのオーバーホールの内容はどんなのですか?
あのユニットはハードエッジだし、そのまま使えるのだと思っていました・・・
 

ありがとうございます

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 1月19日(火)20時41分32秒
編集済
  FUKUさん

こんばんは

早速
問いかけに応えていただきありがとうございます

そう言えば
最近調整の話が聴けませんでしたね
ユニットのオーバーホールとは
エッジでも交換されましたか
落ち着くまでしばらく辛抱ですね


5年10年と年月を掛けて音だしと共に熟成を待つのは楽器と一緒ですから
新たな楽しみですね

何十年も鳴らし続けることでえもいわれぬ情感表現が聴けるようになりますから
ひたすら聴き続ける事が肝要ですから、タンノイとは一生の付き合いと確信できますね

そう言えば20年前にピアノが歪っぽくなり180度ユニットを入れ替えてから
現在まで機嫌良く鳴っています
良き伴侶にめぐり合えた事に感謝しています

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh

 

ふくろうさん訪問

 投稿者:FUKU  投稿日:2010年 1月19日(火)18時10分42秒
編集済
   昨年、ふくろうさんに、出張の合間をみて、私の音を聴いていただきました。ふくろうさんとのオーディオを通して、とても楽しい出会いができました。短い時間でしたが、音楽、オーディオ、人生など、多くのお話ができ、楽しい時間を過ごせました。
ふくろうさんは、音楽を深く探求されている素晴らしい方でした。

さて、オーディオの方では、ふくろうさんは、大変素晴らしい耳を持っておられると思っています。それは、ハーモニーの大切さやを知っておられます。長年のオーディオ愛好家であり、音楽をききこんだ人しかわからない部分なのです。

 さて、私の音は、昨年、ふくろうさんの訪問前に、タンノイのユニットをオーバーホールしました。今は、音がやっと落ち着いてきたところです。これからこつこつ音作りを継続していますのでやがて、しっとりと味わいが加わってくると思いのんびりとやっています。
 

レスありがとうございます

 投稿者:ソフィアザール  投稿日:2010年 1月19日(火)10時28分16秒
編集済
  ふくろうさん

おはようございます

早速のレスありがとうございます


FUKUさんにお会いしましたか

確かFUKUさんはシングルの直熱管のシングルアンプですから
真空管アンプといえども別のオートグラフの世界を垣間見た事でしょうね
その上シングルアンプでもパーマロイトランスの独特の世界は
そう簡単には聴く事が出来ません

さぞ話も弾んだ事でしょうね
宜しければFUKUさんからもお話を窺がいたいですね

オートグラフとマランツは確か音楽人さんとご一緒のようです
静岡にお出になられる時がおありでしたならば
お会いできると良いですね



Moon Audioを主宰している
札幌の辻さんはふくろうさんと同世代の
大型動物専門の獣医さんです
お人柄も専門と同じく大らかで飾らない
オーディオと弓道を生涯の友にされています

カートリッジですが

オルトフォンの旧製品の持つ独特で濃密な味わいを初めにして
レコードのカッティングに合わせる事を想定した様々な
カートリッジを使用してきましたが

数年前から
大澤さんの自らの手作りされたMCカートリッジにやはり大澤作の回転シェル
組み合わせによる色付けのない自然でいて情報量豊かなカートリッジの世界を知り
カートリッジの存在を意識しない音味に魅せられていました
デジタル音源の再生と比較しても違和感がなく録音時のマイクの存在が
なくなりますので
アナログとデジタルの共存には欠かせないアイテムです

昨年の5月

縁あってMoon Audioのリード線のテスターをさせていただき
私の音質に対してのリクエストをフィードバックしたリード線を
Sophiaと命名して戴きました

それ以来
現在までSophia、Aurora、Seirenの3種のリード線の
試聴を継続中です

同じ一つのカートリッジから三種の音味がそれぞれ充実して
聴く事が出来る世界、百聞は一聴にしかずとの思いでお知らせいたしました

オーディオはつなぎの妙を楽しむ事とは百も承知の世界ですが
今更ながらに奥の深さに驚いています

オーディオ製品に於いて
価格と価値感を考える久々の興味深い世界に耽溺しております

それにしてもビンテージとばかり、古の製品が驚くような価格が付けられるご時世
には、呆れます

Moon Audioさん
一矢を報いてください、弓はご専門ですからね
期待しています(笑)

果たして私の書き込みにご本人は
気がついているでしょうか
多分、未だ知らないでしょうね(笑)

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh

 

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